◆「セックス依存症」の救われない理由



 文:今 一生


 こんな経験は身に覚えがないだろうか。
 好きでもない相手からの誘いに乗ってついセックスしてしまう。
 レイプのようなセックスも「愛しているから」逃げずに応じる。
 頼まれるままに(本当はしたくもないのに)相手の性器に口をつけたり、愛液を飲んだり、変態的な行為を請負ってしまう。

 相手からコンドームをつけないセックスを求められると、本当は「NO」と言いたいのに言えない(口では断わっても結局は応じてしまう)。
 それどころか伝言ダイヤルやテレクラを利用し、見知らぬ人とホテルへ行ってしまう習慣がやめられない。
 セックスしないと死にたくなる…。
 あるいはSM指向で、プライベート奴隷がそばにいないと落ち着かない時がある。
 逆に、奴隷として御主人様に気が済むまでブチのめされたくてたまらなくなる。

 以上は、セックス依存症と呼ばれる症状の一部(必要条件)にすぎない。
 セックス依存症は、東電OL殺人事件を機に一般の雑誌や男性誌で通俗的に多用されるようになったが、それらは派手な異性関係を十分条件としてとらえる理解の浅いものだった。
 これは、他の依存症に比べ、自助グループや専門情報が不足しているからだろう。
 セックス依存とは「性行為のパートナーを前にする時に現れる、自己処罰的で過剰に献身的な行動嗜癖(自分の心と体のセルフ・コントロールが利かない依存症)」だ。
 実際に手首を切り刻んでいたり、膣内射精を求められてエイズの危険など顧みず避妊手術をしてまでセックスしたり、何度中絶してもコンドームなしのセックスに及ぶ例も珍しくない。
 セックス依存症は、失恋、卒業(中退)、退社、結婚、引越、愛するパートナーの長期不在や浮気などを機に発病するケースが多い。
 だが、根本的な背景は親が子の「個性」を軽んじ「普通」を強いて育てるような機能不全家族にあり、そこで育ったAC(アダルトチルドレン)がなりやすい。
 しかし、必ずしも近親相姦や幼少期の性的虐待の経験などの性的トラウマが遠因とは限らず、男でも女でも発病する。
 ACが発病しやすい摂食障害、アルコール依存症、薬物依存症などからのスライド、もしくはそれらと重複して患うことも多く、性行為を仕事とする風俗嬢やAV女優などに顕著のように思われているが、彼女たちに特有なものでは決してない。
 むしろ、援助交際をする20〜30代や、その当事者である「いい子」的な性格の持ち主がかかりやすい。



 ACの主な特徴に、自分の心と体を愛せないことがよく指摘される。
 セックス依存を病む者にも、刺青やスカリフィケーション(他人からつけてもらう模様の傷)などが見られたり、十分に物心ついた後なのに親から授かった性が受け入れられない苦しみからトランスジェンダー化、バイセクシャル化、セックス恐怖症になる者も少なくない。
 援助交際をし、ギャラに見合わないサービスを施してしまう人も好例だろう。
 だが、エイズという治療困難な病気の危険性さえ自ら招いてしまう心の病であるのにもかかわらず、セックス依存症の症状(そして病名)は、我が国では、臨床に携わる精神科医や学会の間で広く認知されているとは言い難い。
 それは、この病気が買い物依存症やテレクラ依存症のように人には相談しにくく、かつ自覚もしにくい「見えない病気」であるからだろう。
 内臓や脳の一部が壊れて体型や表情に影響が出る他の依存症に比べれば、発見しにくい点も多々ある。
 しかも、上記のように、性病や中絶、人間関係の破綻が待っていようとも、結局はやってしまうのだから、セックス依存症の当事者は自分が何を求めてセックスに及んでいるのかさえ、見失ってしまっているように思う。
 だから、なぜ自分を傷つけてまでセックスに及ぶのかを他者が聞き取ろうとしても、困難を伴うのは避けられない。
 何しろACへの取材自体、大変に難しい。
 初対面では取材者に責められないように巧妙な嘘をつくのも珍しくない。取材者の気に入る物語や文脈を先取りして創作するサービス・トークもしがちだ。
 3分診療薬漬けの現行の医療実態の中で、セックス依存症を治癒していくのは極めて困難であり、専門の自助グループもあまりにも少ない。
 500人以上の男性とほぼ毎日関係したある主婦は、「心の病気かもしれないけど、セックスしなかったら生きてはいけない」と言った。その後、彼女は自らセックスを生き甲斐と自認した。そういう「解脱」の認知もあるのかもしれない。
 しかし、依存症の暗闇から抜け出すのは、必ずしもそうした自認をきっかけにするとは限らない。
 やり続けていった末に、まるで憑き物が落ちたかのように突然にその行為に飽きてしまうこともあるし、他の依存対象や依存行為にハマッてしまったがゆえにセックスへの依存を忘れてしまうことさえある。
 もちろん、単一のパートナーとの信頼関係を奇跡的に得られて、愛されなくなる不安からセックス依存症から立ち直ったケースもあった。



 以上のような記事を1997年に東京新聞に書いたが、その後、拙著『生きちゃってるし、死なないし』(晶文社)に依存症全般について自傷癖と同義だと断じた。
 そもそも依存症とは、自分では「どうしても辞めたい」と切実に思っている悪習慣を自力ではどうにも変えられず、変えられないことに苦しみ続けているために「治したい」と求めた時にかろうじて自覚しうる心の病だ。
 これに習えば、セックス依存症は、セックスそのものが好きで快楽を追い求める「セックスマニア」とは一線を画すことができるだろう。
 実際、セックス依存症の当事者には不感症を訴える人も珍しくないし、「1日3人としてしまうことで悩んでいる」という女性に「1日30人をノルマにしてやってごらんなさい」と詰め寄ると、ワクワクするどころか、「いや、そこまでは…」と引いてしまうのが通例だ。
 依存症者は、自分の依存度を自分でコントロールしたがるところに依存症者たる根拠があるのだから、もっともな反応だろう。
 さらに言うなら、セックス依存症とは、相手がセックスを拒めば、依存したくても出来ないのだから、応じる相手も、セックス依存症の当事者と同様に共依存的な関係に陥っている存在であることも注視しておきたい。
 セックス依存症の人は、それが自傷的な行為だと見抜けない鈍感な人間しか引き寄せない。
 大人になれば、人間関係は自分と釣り合う相手としか築けないのだから、依存症を病んでしまえば、同じように依存的な人間を都合のいい存在だと認知してしまうのだから、依存症はその点で相手との関係によって深刻化し、延長されるとも言えるだろう。
 セックス依存症をめぐる、これ以上の指摘については、拙著『出会い系時代の恋愛社会学』(ベスト新書)に細かく書いておいたので、興味のある方は参照されたい。